ラテンも習い始めて1ヶ月ちょっと。
なかなか難しいステップも出てきて、さらに楽しくなってきました。
先生と踊るときはスムーズに踊れるのだけど、彼と二人だともうグダグダ。(笑)
お互いに初心者からスタートしてるのでこうなるのは当たり前だよね。
でも、やはり思うのは先生と踊るのはやはりプロだから「踊らされている」「運ばれている」のであって、踊りではないのだなあということ。
ダンスにも自立したもの同士で、初めて踊りが始まるのだなあと思います。
二人の基礎の土台がしっかりしてこそスタートラインに立てるのだなと。
先生とだけ踊っていたらきっと、表面的には踊れていても自立することを忘れてしまいそう。(私上手くなってる!と勘違いしてしまいそう。)
なんてことを、ふと思った今日のレッスン。
ペアではもちろんのこと、私は自分一人でもかっこよく踊れるようになりたい!というのが願望なのでね。
自分の体をもっと上手に使えるようになりたい!最大限に使いこなしてみたい!という。
それにダンスの要素は撮影にもたくさん使えるんですよね。
どうしたら美しく見えるのか、を追求するのがダンスですからね、そのエッセンスを撮影のポージングでも皆さんにお伝えしています。
ほんの一手間、ちょっとした角度で断然美しさが変わります。
魅せ方ってやはりとても大切だなあと。
撮影中は惜しみなく伝授しますね。
そしてタイトルにもある「違う物語を語ろう」なんですけどね。
私の大好きなエイブラハムの新刊が先日家に届きまして、ただいま熟読中なのですが
その中でよく出てくるフレーズです。
〜〜〜〜
私たちは、現実を語らないといけないと思いすぎていると。
今語っていることは、ますますフォーカスを強めるので
それが自分にとって喜ばしいことや嬉しいことだったらますます嬉しいことを引き寄せるのでいいのですが
もし、望まない現実を語っているのならますます望まないことを引き寄せるでしょうと。
〜〜〜〜
(興味がある方はぜひ読んでみてください。)
そうそう、ホントに私たちは現実を見てそれを語りすぎているんですよね。
そうやって「現実を見なさい」って教わってきたからなんですけど、それは違っていたと私は思いますし
エイブラハムの言う通りって感じで、色々実践してきた今だから尚更そう思います。
今自分の思うような人生を歩んでいないのであれば、違う物語を語る必要があります🤓
望んでいることだけを考える。
誰かに語る必要も、宣言する必要も、分かってもらう必要もないけど
自分の気分が良くなる物語を語る必要はある。
ついつい、今の現実を見て語って後悔することがあるのね、
後悔するくらいなら黙っていればいいし、気分転換にふて寝や散歩したり、ゲームセンターに行ってリフレッシュすればいい。
そのあとに、自分が歩みたい人生の物語を想像する時間をゆっくり作る。
こうやって私は勝手に展開される楽しい人生を味わってる。
たまにね、人生上手くいかない。我慢するものだ。辛いものだからあなたもそうしなさい、
なんてカフェでお茶してると隣から聞こえてきたりするので、
聞かれてもないけどブログで私の思うことを書いてみました。
最後に、もし今、自分の望む人生でないのであれば
違う物語を語るようにしてみてください。
そして、今思う通りの人生を歩んでいる人は、そのまま人生を楽しんでください。ますます簡単に、楽に豊かになっていくでしょう💌
では。
また、書くね^^
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