撮影の申し込み動機にメッセージを記入できる欄があり(任意です。)
「このような写真を撮っても何も役に立たないと思いますが」という一文なのですが
多くの方がこのように書かれます。
私はそのメッセージを見て、おっしゃる通り!と思う気持ちと、やはり何か大義名分や堂々と言い訳できるような理由や動機付けが必要だという気持ちになります。
撮影に来てくださる方は本当に一般の、普通の女性たちですから。
自分の写真を仕事にしているわけではないし、起業して自分をアピールするような方でもないし(そういう方もいらっしゃいます。)、どちらかというと内に秘めた情熱を持ちながらも他人を優先してきたり自分を我慢させてしまうような、とても優しい方が多いように感じています。
本来の自分はもっと輝いて楽しんでいるはずなのに、どこか少し控えめだったり遠慮がちだったりします。
それは年齢を重ねるごとに身につけてきた社会性の1つでもあり、ほどんどの方がそうだと思いますし私自身もそうです。
でも遠慮や我慢をしすぎて本来の自分を見失いつつあるのではないかとご自身でも薄々気づいているタイミングだったりします。
そういう女性が服を脱ぎ、美しいランジェリーを身にまとうと恥ずかしながらも徐々に心が開いていき
少しづつ大胆にそして安心を得てどんどん輝いていきます。
皆さん緊張もされますし、身体もガチガチになったりどのようにしたらいいかも分からない状態からのスタートです。
(できる限りリラックス状態で楽しめるように事前に準備の方法や細かい打ち合わせ等はやり取りしていますのでね。)
撮影の短い時間の間でも1つの小説がかけてしまうのではというくらい、最初と最後では変化されます。
それは見た目の美しさや輝きもありますが内面の変化のような気がします。
心が開かれて身体も開いていく。
羽を伸ばすように自由を感じて、嬉しくなりそれが艶っぽさになっていく。
これは女性に必要なエネルギーだと思うのです。
役に立ちそうなことをすることだけが人生ではありません。
必要なことばかりをしないといけないわけではないと思うのです。
もちろん生活の中で必要なことをすることは大切で大事なことであります。
SNS時代にさらされている私たちはあまりにも「役に立ちそうな何か」「仕事に繋がりそうな何か」に追われているようです。
心が嬉しくて潤うような感覚は、誰かに淡い恋心を抱いた時の感覚、美しいものを見て感激と高揚を覚える感覚と似ています。
あの甘くて切なくて、でも嬉しさの中にいるような潤う感覚です。
美しいものや好きなものを愛でている時のホッと心が安らぐ感じ。
年齢を重ねるたびに、こういった感覚が若い頃より価値を持つようになります。
心を豊かにしてくれるものにさらに価値を感じるのです。
本能で女性はこのことを感じ取っているのだと、撮影を通して気付かされます。
可愛くなること、自分の魅力に気づくこと、美しさを見出すこと、感じること、余韻に浸ること。
女性に必要不可欠なエネルギー・・!
昨年の撮影の様子。
美しさは人それぞれまったく違います。
個性を出して自分の花を咲かせることに集中しよう。
自分にしか咲かすことのできない美しい花を。
堂々と咲き誇っている姿は多くの人を惹きつけます。
誰かに憧れるより、自分に惚れてしまおう。
まだまだ私も仕事をしないといけませんね。笑
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