らむです。今日は徒然忘備録。
先日藤井風くんのライブに行ってから、すごくモヤモヤしていました。
それは風くんに対してではなく、自分自身の葛藤というか。ものすごく、風くんの才能に憧れたんだよね。もはや嫉妬レベルなのかな。
<私も、あんな風になりたい>って強烈に思って苦しくなった。コンプレックスを刺激された感じだよね。
私に<無い>って思っていることがたくさんあるって気づかされて、それがすごく辛かった。
あの人にはあって、私には無い。の比較の世界に浸ってしまっていました。
彼のそれを才能というのかもしれないし、努力というのかもしれないし、天性の素質というのかもしれない。
私ね、少し前に気になる男性がいたんだけど。
その彼はとても才能溢れる人で、はたから見たら地位も名誉も富もすべてを手に入れている<成功者>。
私から見てもすごいなって尊敬でしかない人。
そんな彼は<自分が好きなことをする人生>じゃなくて<できることをしてきただけだよ>というようなことを話してくれて。
<好きなことをして生きている人>がとても羨ましいとも言ってたんだよね。
で、私のことも好きなことをしている人生で羨ましいと言って(その時は冗談としか受け取ってなかったんだけど)
<その才能を奪ってしまいたい>というようなことを言われたんだよね。
その当時はあまり意味がわからなかったんだけど、
風くんのライブに行って帰ってきたとき、私もそれ強烈に思ったんだよね。
<その才能。すべてを奪ってしまいたい>って。
彼の言っていた気持ちが分かってしまった瞬間だった。
それって一体どういうことなんだろう?って考えてたのね。
藤井風の記事でも
<誰かのファンになることは、忘れていた自分の夢を思い出すことだ。>って書いたんだけど
誰かの何かに(才能や容姿や応援のされ方)強烈に反応するっていうことは、そこに自分の素質があるっていう未来像でしかないんだと思う。
未来というか、過去かもしれないけど。
そうそう、そうだった、私ってそうだったんだよっ!って過去を思い出すからじゃないのかなって。そう思うと未来じゃないな、やっぱり過去なのかもしれない。
んで、今はそれをすっかり忘れちゃってるから(なんかわからないけど)モヤモヤするっていう反応になる。
強烈な嫉妬やモヤモヤは、
過去にいた自分なんだ。そのまま真っ直ぐに生きてこれなくて、紆余曲折散歩を楽しんでいる。(と思ってた。)
でもそれはもう要らなくて、もう<思い出していいんじゃない?>っていう合図なんだと思った。
私は自分に真っ直ぐで、情熱的で、愛に溢れている人だった。
思いやりが深くサプライズ好きで、いたずらと遊びが大好きな人だった。
あー、それ忘れてたなって。
特に<遊び>が足りてない
そもそも遊んで生きなきゃ西川じゃないww
っていう結論に至りました。
もっとシンプルに遊びがしごとで、生きることがあそびではたらいてこう
ちなみに今も私はその彼のことをとても好きだし、尊敬しています。
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