先日行った弥生美術館は今年で会館40周年!それにあたり大正ロマン・昭和モダンのカリスマ絵師の高畠華宵のイラストがたくさん展示されていました。
華宵(かしょう)さんのお写真です。
美しいものを愛していた方。
ご自身は結婚することはなかったが、美少年の弟子たちと生活していたり、美しいものや人・モノを愛しているのが伝わってきて浮世離れしているようなイメージも持ちました・・
きっとロマンチストで繊細な方だったんだろうなと思いましたし、華宵にまつわる周囲のエピソードからもその人柄がうかがえました。
私は華宵の書き残した言葉がすごく印象に残りました。
この言葉を見てハッとして、ドキッとして、ときめきました。
なんと心強いメッセージなのでしょう。
華宵の女性のイラストは、妖艶でとても色っぽく、粋な着物を召しているんですよね。
同じ装いは2度なく、すべて違うものであることというこだわりがあったそうです。
華宵の「それぞれの美しさを見逃しはいたしません。」という言葉通り、それぞれの魅力を持った女性を描いているのです。
一人一人の魅力を見逃すことなく、細かいところまでよく観察し、それぞれの個性を愛する。
強気な女もいいが、か弱い可憐な女も好き。
派手で美しい女もいいが、地味で目立たないおしとやかな女もいい。
華宵にとったらどんな一面も魅力的と捉えてしまえる能力、それが彼の素晴らしいところだと思う。
それに、華宵その感覚は私にもあって、特にカメラを持って撮影する時なんかは全く同じ感覚だと分かりました。
絵を描くのと、写真を撮る、ここには共通する感覚があるのだと分かって親近感と共感で嬉しくなりました。
【私の好むのは、人間としての女ではなくて、美の所有者としての婦人です。】
独特で美しい言葉選び・・
この言葉は年齢を重ねた今だから深くしみますね。
若さではない魅力を自分で作っていくこと、日々の積み重ねで出来上がるものがあると感じるからです。
見てくれだけの美しさの他に、その人を形成する美しさがあると気づくからですよね。
丁寧さや優しさ、心の余白や、遊び心。そんなものに美意識を感じるといいますか、若い頃には気づかなかったものが大切だと思うようになるからかもしれません。
それを華宵は「美の所有者」と表現しているのかなと、そんな風に思います。
【絵は楽しく描くものであって、絵を描くために苦しむのでは良い絵が生まれる筈がない。】
好きこそ物の上手なれ。
好きというエネルギーに勝るものはない。
そう感じることがよくありますので、やっぱり「好き」「楽しい」を大切に進んでいきたいですね。
私の場合は、「ニヤニヤ」しちゃうものもそれに当てはまります。笑
華宵は自邸に女性を招き入れなかったと言われていますが、唯一出入りが許されたのが中央にいる「古賀三枝子」さんでした。
彼女はとってもお洒落だったそうです。
華宵に招かれた際は、その都度横浜の洋装店でオーダーメイドで服を誂えていたのだそう。
粋な姿勢が華宵は気に入ったのでしょうね。(多分。本当のところはどんな理由だったのか気になります。)
そして本当に「美しいもの」が好きな人だったのだなあ、と思います。
もし私が華宵だったとしても、そういう人を見たいし仲良くなりたいし大切にしたいと思うのだろうと。
細かいほどに繊細で美しいものを愛した人によって
1つの時代が作られ、熱狂が生まれ、文化までに成熟していったのだと思うと感謝しかありませんね。
先人たちの影響を受けて私たち日本人のDNAは美しいものを感じる力を持っているのだと、
美術館に行くたびに感じます。
コメントを残す