らむです。
昨日今日と、静岡へ行っていました。
母方の祖父がいるので会いに。
それから母の兄の奥さんが脳梗塞で倒れたのを聞いてお見舞いに。(倒れたのは随分前だったのだけど、最近やっと落ち着いてきたとのことで。)
静岡に行くの久しぶりで、わたしにとってプチ旅行のような感じでした。
田舎にあるのでお茶畑が一面に見えます。和みます。
わたしの家族はわたしが生まれるときに、父の転勤で栃木に引っ越したのだけど親戚や親族って栃木に誰一人いなくてね。
父方の両親は(離婚していたのでお家は別々だった)東京にいるし、母方の両親は静岡にいるしで
いとこはもちろん、おじいちゃんやおばあちゃんに会えるのって年に一回とかだったのね。
お盆かお正月、どっちかの家に行くみたいな感じ。
大人になるにつれて、年一回が数年に一回になり いつしか冠婚葬祭の時に会いに行く感じになっていて。
今回も数年ぶりに静岡に行ったんだ。
人生でも、親戚に会うってきっと数えるほどしかないんじゃないのかな、大げさかな(汗
でもわたしの中では一大イベントになってて、毎回距離感がわからなくて緊張する・
昔、小学生とか中学生の頃に
友達が「いとこのお姉ちゃんとどこどこ行ったんだ」とか「いとこが今度遊びに来るんだ」とか聞くと、すごく羨ましかったのとびっくりしたことを覚えてる。
え!!!いとこってそんな近くにいるん??って(笑
おばあちゃっんが居るとか、おじいちゃんが居るとかも、羨ましかったな〜。
わたしの家は、いつも両親と兄弟しかいなかったから
親戚に遊んでもらうとか、誰かに頼るとかそんなの一切なかったからすぐに会える距離にみんながいるっていうのがすごく素敵に見えた。
だからか、今でも結婚したらお相手の家族と同居したいな〜とか普通に思う。(してもしなくてもいいけど、全然あり)
一回は経験してみたいなって思う。
いろんな世代の家族がわちゃわちゃしてるのってほっこりするなって。いろんなことがあるとは思うけど、そういうのも含めても、ね。
久しぶりに会うおじいちゃん。89歳。
わたし、おじいちゃんのこと大好きで。(でも数えるほどしかあってないから距離感がドギマギしてるんだけど)
77歳の時に車を運転していて、事故にあい両足を失ったんだ。
それから義足で生活している12年。
普通、、、、
77歳でこんな事故にあったら、もう人生終わったとか行ってまず心が病気になってすぐに弱くなってしまいそうなんだけど。
一年前の88歳まで、車の運転してた。🤭✨‼️
義足でも乗れるように車を改造して、専用の車で運転していたの。
おばあちゃんが天国に行く数年間もそれで介護を手伝ってた。
おばあちゃんの世話をしながら「えらいわ〜(疲れる)」って言いながらも、おばあちゃんのことを好きで仕方ないっていう感情が体から溢れてた。
最後はおばあちゃんボケてて(といっても一日中歌っている平和なボケ方だった✨)、大変だったと思うんだ。
おばあちゃんが亡くなってから
「おじいちゃん、ちょっとは楽になった?」って聞いたことがあったのね。
そしたら「楽になったっていうより、いないと寂しいよ〜〜〜。大変でもうるさくてもいてくれる方がええわ」って言ったんだ。
それを聞いた時に、私は自分の小ささを感じた。とても失礼な質問だったと恥ずかしくなった。
そしておじいちゃんのおばあちゃんに対する愛の深さを感じた。
私は、一年のうちのたった1日、2日しかおじいちゃんとおばあちゃんの姿を見ていなかったけど
どんな風にして2人が時間を重ねてきたのかは想像できる。
つらいうことも、思うようにいかないことも、離れたいと思う時も、嬉しい時も、どんな時も一緒に過ごしてきたんだなって。農家だから、それこそ一年中24時間一緒だったと思う。
おばあちゃんは、最後はたくさんおじいちゃんに甘えていたと思う。おじいちゃんもそれを喜んでた。
おが亜ちゃんが亡くなってから、5年が経つんだけどどんどん痩せてきたとは言えおじいちゃんはやっぱりすごい。
義足で生活しながらも、自分のことは全部できる。掃除もするし、お風呂もトイレもできるし、洗濯物も自分のは自分でしている。
毎日新聞を1時間半かけてゆっくり読んでる。
この義足を見るとリアルで複雑な気持ちになるんだけど、この足がおじいちゃんを助けてくれてる。
切断した部分が、しびれるっていってストレッチしたりもする。
私がその歳になっても、こんなに当たり前に自分のことができるんだろうか?って思ったし
メンタルの強さがかっこよすぎて誇りです。
強いだけじゃなくて、弱さも見せてくれて、ほんと素敵だなって感動するの✨
人間の底力って、どこまでも強い。
会うといつも、私も頑張らなきゃって気持ちになる。
それから義理姉さん。思った以上に弱っていて、正直ショックだった。
家族で一番元気な人だったから、体の1つの部分が正常ではなくなってしまうだけで
こんなに変わってしまうのかともどかしい気持ちにもなった。
健康は奇跡だけど、病気も奇跡だった✨
・健康であることで経験できること
・病気だからこそ経験できること
私は、そこにはいいも悪いもないと思う、やっぱり。
病気であることも美しいなって。病院に行って思ってしまった(不謹慎だったらごめんなさい
人と人との関わり方、物語がいくつも重なり合う場所。
病気でも健康でもどちらの経験でも、得られるものや気づきは同じ量だけあると思う。
でも、私はね。こうも思った。
私は、自分の体を最大限に美しく使いたい。
綺麗な状態で神様にお返ししたいって思った。
それは体を怪我がないとか、傷がつかないように、とかの表面上の美しく使いたいではなくて。
体という資源をめちゃくちゃ使って、使いこなして、もうこれ以上使えない!っていうくらい使って(愛用して)
愛情込めてメンテナンスしていくっていうこと。
使えば使うほど、愛着が湧いて、メンテナンスして、綺麗に保って、自分のヴィンテージの価値を高めていくということ。
車に例えると(私が車好き。
車って、メンテナンスもろくにせずに乗っていたらたった数年で<ただの鉄くず。>ゴミになっちゃうんです。
でも愛用する車のオーナーによっては何十年も練り続けられるヴィンテージのスーパーカーに変貌を遂げることもある。
使えば使うほどメンテナンスをし、手間暇かける愛情が増えるから。それと、それにお金をかけることもすごい大切。
上手い例えになってない気がしないでもないがごめんw
今回の静岡の旅は、死と生をとっても身近に感じました。
いつか誰もが迎える<死>。
その時、私は自分の体を綺麗に神様にお返ししたいと思いました。
今世地球でたくさん遊ばせてもらったお礼に、自分にたっぷりお金も愛情もかけてケアし続けて
天国に戻った時
「わたし、綺麗な体だわあ〜〜〜✨(お手入れしている体、すぐに分かります)」って、
天の上から自分の棺を眺めて神様にそう言いたいって思いました。
それが自分への最大の感謝。
神様への敬意だと今のわたしは思います。
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