以下執行草舟さんの著書からの引用。(タイトルは失念しました。)共感してメモしておいたのです。
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昔テレビを見ていた時に実感したことがあります。
坂東玉三郎がまだ若くデビューしたての頃だったのですが、インタビューで聞き手が坂東玉三郎の魅力がどういうところにあるか言おうとしたのです。
そうしたら玉三郎が「何も言わないでください。」と。「私の魅力は何も言わないでください。」と言った。
なぜなら大変な人材が生まれたと皆から「こういい」「ああいい」と言うことを嫌というほど言われる。魅力を感じてもらうのはありがたいものの、それは自分が認識したらなくなってしまうものだと言っていた。
(一部省略)
認識した瞬間に変わってしまう。だからに自分の魅力が何かというのも、知ったら魅力で無くなってしまう。かえって嫌味になる。だから知ってはいけないというのです。
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坂東玉三郎さん、あれほどの方が魅力についてこう感じていたことを知れて嬉しいのです。
きっと玉三郎さんの周りにいる方々はその素敵さ、魅力を伝えてたくてたまらない気持ちでしょう。ファンだったら尚更ですし、魅力を伝えるのは当然良いことだと思いますよね。
私も写真を通して、皆さんの魅力を伝えるのが仕事ですから当然そう思っていました。誇りを持って伝えていました。
ただ、ただですね、これを読んでもう一段階上の「魅力」があるのだと気付きました。
相手を思っての、あえて魅力を伝えないという選択もあるのだと視界が広がりました。伝えたい思いをぐっと飲み込んで忍ぶような思いです。
本当の真の魅力とは、本人が知らないもの、本人が知らなくていいもの、ではないのかと今は思うのです。
今の時代自分の魅力を知っていこう、自分の魅力をみんなに知ってもらおう、という人が多い中、あえて自分の魅力を知らなくてもいいと潔く生きていく。こういう人の方が断然に魅力的なのではと思うのです。
私自身もやはり誰かから「ここが素敵ですね!」「こういう所が魅力的ですね」と言われるのはもちろん気分がいいですし嬉しいものです。
でも、自分でも思いがけない部分を褒めてもらった時、次からそこをすっごく意識してしまうという経験がありました。ここが素敵って言われたからそう見せなきゃ、というようなほんの少しだけ縛られる感覚。
きっとその人は私がその部分をのびのびとしていたから魅力的だと感じたはずなんですよね。だけどそうやって認識してしまうことでぎこちなくなるし、よく見られようとする。そうすると玉三郎さんが言われたように、もう魅力は消えてしまうか嫌味なものになってしまうのだろうと思いました。

撮影をしていても時々襲ってくるあの感覚・・・。
本人に魅力を知ってほしいけど、知らないままでいてほしい。
知らないまま、その魅力を周りの人に与えて欲しい。
この感覚は、坂東玉三郎さんの「私の魅力は何も言わないでください」へと通ずるものでした。
なので魅力を伝えるということについて、私は慎重になりましたし、写真家としてはどうしたものかと考えてしまうのですが、撮影中はともかくとしてあえて言葉で魅力を伝えるということはしないと思います。(多分。)
それは頑なに魅力を伝えない、ということではなく、世阿弥の風姿花伝の中で伝えられている「秘すれば花」の世界へお連れしていくのが私の仕事ということではないのかと、そんな風に感じています。
自分の魅力なんていうものは、自分で知らなくてもいいのだと。
認識すると儚く消えてしまうもの、それが「魅力」の正体なのでしょうね。







現在進行形でやっている講座一覧。
元美容師。女性性を開花させるツボ押しが得意な施術家兼写真家。脱毛症でスキンヘッドとウィッグ生活。
撮影を体験してくれた一般女性のモデルさんとインタビュー形式で音声対談しています。
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